初代村上友右衛門が、名古屋市西区押切町にて「村上商店」を創業。
当時、名古屋地方はマッチや花火などの火工品の製造工業が盛んであったので、その製造用原料である硝石、塩素酸カリ、
硫黄などの化学薬品の販売を行っていた。
会社所在地を西区押切町に移転。当時の西区大船町三丁目。なお、この頃より我が国の化学工業の発展めざましく、それに伴い、当社も多種類の工業薬品の卸販売商としての地歩を築いた。
明治45年山中友圃(初代の父)より受継いだ西区押切町1番戸の店を支店として、染料関係の商いを主として行う。 当時の支店は小売のみで、年間2,000円の売上高。
明治17年の創業から「村上商店」として個人経営してきたものを組織変更。「合名会社村上商店」を設立する。 設立当時の資本金は15万円。
昭和13年4月、初代村上友右衛門死亡のため、初代の孫にあたる村上尚一(友右エ門)が代表社員として2代目を継承する。
12月、「株式会社村上商店」を設立する。資本金90万円。
尚、屋号のを改め、マークを起用する。
7月、初の事業所として、富山支店を開設する。
5月、静岡支店を開設する。
7月、東京支店を開設する。東京方面には、日本化学工業、旭硝子、住友化学、保土谷化学、日産化学など、当時の取引メーカーの大部分が集結していた。
「村上化学株式会社」に社名変更。化学薬品を扱う会社としてふさわしく、判りやすい社名となる。
3月、大阪支店を開設する。
資本金を7,500万円に増資。
本社を昭和区鶴舞に移転。
VIETNAM MURAKAMI TRADING COMPANY LIMTEDを設立。
本社を中区栄に移転、現在に至る。